「カッコつける」という行為について。
若い頃は可愛げや勢いでごまかせていたものが、ある年齢を過ぎてカッコつけていることが周囲に見透かされると、ダサさや痛々しさが際立ってしまうことがある。なぜ大人になっても、あるいは大人だからこそ、無理にでも自分を良く見せようとしてしまうのか。
「大人らしさ」のプレッシャー
30代あたりから、社会的な立場や責任が増え、いわゆる「大人らしさ」を求められる場面が増える。仕事でのポジションや周囲の期待が具体化するにつれ、自分の価値や評価を見失わないようにと意識を張り巡らせるようになる。そういったなか、わざとらしく「大人の余裕」や「自分ならできる」というイメージをつくろうとしがちだ。
この「大人らしさ」のプレッシャーが、表面的なカッコよさを取り繕う方向へ傾いてしまうと、周囲が違和感を覚えることがある。本人の意図としては「ちゃんとしている大人」をアピールしたいだけかもしれないが、結果として自意識過剰な姿が目立ち、「何をそんなに必死になっているのか」「あの人、カッコつけているのが丸わかりでダサい」など、余計な疑問や冷ややかな視線を招いてしまうのだ。
なぜ「カッコつけ」はバレてしまうのか
カッコつけたいという欲求は、突き詰めれば「認められたい」という承認欲求に根ざしている。自分に自信があれば無理に取り繕う必要はないはずだが、その自信を裏付ける実績や明確な指針が見えにくいと、人は安易な外面の演出に頼りがちになる。ちょっと高級な物を身につけてみたり、知識や経験を盛って話してみたりすることで、心の隙間を埋めようとする。だが、無理なタイミングでアピールを重ねれば重ねるほど、内面とのギャップが大きくなり、相手の目には空回りしている姿が映る。
たとえば30代は、若さという勢いだけでは突っ走れなくなる一方で、十分に成熟しきっているわけでもないという微妙な時期。そうした曖昧な時期だからこそ、自分の至らなさや弱さを認めたくない思いが、過剰な演出へと走らせてしまう。だが、その”演出”は、自信のなさや焦りを映し出す鏡でもある。人は思っている以上に他人の緊張や不自然さに敏感であり、言葉の選び方や身振り、タイミングのズレから「これは自分をよく見せようとしているな」と察してしまう。バレるのは、そのズレが無意識ににじみ出てしまうからである。
等身大の魅力を育てるには
どうすれば、自分を不自然に飾り立てずに魅力を発揮できるのか。
ひとつの方法は、自分に合った形で努力しながら、可能な範囲で欠点や失敗を認める態度を身につけることだ。できないことをできないと素直に口にし、改善のために何が必要かを考える。そこには羞恥心も伴うが、それがないと本当の自信は育たない。背伸びをするよりも、試行錯誤をしながら自身を磨き上げた方が、結果的には説得力のある姿となる。
「自分らしさ」を意識して日々を過ごすことも重要だ。流行やステータスシンボルに盲目的に飛びつくのではなく、本当に自分が求めるものは何かを掘り下げる。たとえ人目には地味に映っても、そこに自分ならではの美意識や主体性があれば、その姿こそが自然で魅力的に映るはずである。
自分をよく見せたいと思うのは、人間としてごく普通の感情だ。しかし、そういった中でもむしろ「どう見られてもいい」と開き直れるぐらいの余裕が、かえってカッコよさに直結する。無理に背伸びをするよりも、自分の未熟さと折り合いをつけながら誠実に歩む姿勢こそが、周囲に好感と信頼を与えるだろう。等身大でありながら、どこか芯の通った大人の魅力を磨き上げることが、真の意味で「カッコいい」姿だといえる。